雲を掴むような

ハタチ。 弱い。人生をブログにしています。

12/5

大学の後、大学で唯一このブログの存在を知っている友達と、その友達の親友と3人でご飯を食べた。友達曰くその人は「いちかと同じ」らしく、どうしても会わせたいという事だった。

その人は同じ学科ではあるのだが、私は0からコミュニケーションをするのが面倒で大学では決まった人としか繋がっていなかったので、「顔は知っているけど」の人だった。行くか悩んだ中で、同じ学科に何百人といて(同じ大学を選んで同じ勉強をして)、4年間同じ建物に通い続けて、それでも95%の人は「顔は知っているけど」の人になるのは勿体ないのかもしれないと思った。臨床心理という専門的な学科だから、少し特殊な人が集まっているはずなのだ。向こうも行きたいといってくれたので、3人で大学の近くの安めの居酒屋に行った。

 

結論から言うと、ちゃんと自分の話が出来る友達が一人増えた。その人はどうしようもなく優しくて、故に周りの目ばかり気にして、自己肯定感が低くて、そんな自分を何とかしたくて、その根底に複雑な家庭環境がある人だった。

その人は何も悪くないのに、「自分が弱いのが悪いから」ということばかり言っていて、何故この世は周りに気を使って遠慮をする側が息苦しい想いをして、自分のエゴを押し付ける側が悠々と出来るのだろうかと思った。それすら私のエゴなのだろうか?何も分からないし、そんな状態のまま大人になって社会に出るのが怖くなった。

怖いよね、という話をして少し楽になった。やはり思想を言語化して吐き出し合うのは大切な行為だと思った。そういう話が出来るのは大学では2人目、人生で5人目だろうか。そんなに沢山もちゃんと話が出来る友達に出会えてとても恵まれていると思った。

優しい人がどうこう、というのは私の中の正義でしかなく、多くの人との価値観とは違うのだと思う。だからこそ、その価値観を分かち合える人は本当に大切にしていきたい。

最近Twitterでは「男は〜」「女は〜」「夫が〜」「妻が〜」「若者が〜」などなど、人間を括って自分の意見を押し付ける人がめっぽう多くなっている気がする。しょうもないな、と思う。そもそもそういうエピソードも私は嘘だとしか思っていないが…本当だったとしても、Twitterに書いてしまったらその行為の持つ意味が自己承認欲求に昇華されてしまって台無しだし。

人間それぞれ別の生き物でしょう。私が代表して発言します!みたいなのはナンセンスだと思う…そう思うのも私のエゴでしょうか?しつこいな

 

深夜にTwitterを見て、否が応でもそういう情報が目に入ってきて、それについて考えてしまって寝れない、みたいな事が最近多い。そういう時は無心にポケモンをしている。頻度が高いのでそろそろポケモン図鑑が揃いそう。

ポケモンですら性格とかがそれぞれあって、それによって攻撃型になったりサポート型になったり出来るのに…

多様性というありふれた安い言葉で片付けるのは違うと思うが、とりあえずTwitterで騒ぐ人には1度ポケモンをして欲しいと思った。

 

挫・人間 / ゲームボーイズメモリー

12/4

天気も気分もよかったので渋谷へお出かけをした。ずっと行きたかったAKIRA展とポケモンセンター渋谷へ行った。

好きなイベントにすぐ行けるのは東京に住んでいる人間の特権だ。田舎にいた時は、行きたくても行けない展示会やライブやサイン会が沢山あって、そんな環境を呪ったものだ……自分が東京にいるのだということを再確認した。せっかく東京にいるのだから、環境を呪っていた過去の自分まで東京でできることをやりつくそうと思った。

 

渋谷はやはり嫌いな街だった。もうドブの匂いにも新鮮さを感じられなくなってきたし、その臭いが人混みの一人一人が付けてる香水の色んな匂いと混じって、最悪な臭いを作る。

毎回毎回誰か違う人がYouTuberとしての撮影やフリーハグ、宗教演説、ライブのビラ配りしていて、各々の自慰行為を押し付けられたような気分になる。とにかく人混みが嫌いだ。私はこの街で一生は生きていけないだろうと思った。

田舎に住んでいた時にずっと憧れだった東京はこんなものなのだろうか。私が楽しみきれていないのか、みんなそう思っているのか、分からないなぁ。いつもの「ここに行けば・これをやれれば 救われる」という過度な期待が巻き起こした結果なのだろうか…でもそういう「ここに行けば・これをやれれば」が、ここ1.2年で沢山出来ている。東京にこれて、大学にも行けて、一人暮らしできて、心理学を勉強できて、漫画や本を沢山読めて、好きなライブにいけて、極わずかな本当に仲のいい友達とお酒を汲み交わせる。幸せじゃないか。

私はなんと贅沢な人間なのだろうか。環境に適応して、新しいもっと上の幸福を無意識に求めている。ないものねだりはいつまで経っても変わらないのだろうが、今が不幸と言っていたら泣いてばかりだった10代の私に怒られてしまう。今の幸せに気づいて噛み締めなければならない。

 

Cody・Lee(李)/ 東京