雲を掴むような

ハタチ。 弱い。人生をブログにしています。

12/1

毎月毎月、月初めには「もう○月?早い……」と日記に書いていたが、11月が濃密だったからか、もう新しい月が来る刺激へ耐性ができてしまったからか、何も思わず12月1日を迎えた。

今年もあと1年で終わるなぁと写真フォルダを見返したら、一年前の自分の顔が丸々としていて少し嫌な気持ちになった。この1年で目に見える自己変容を出来ていたのはいい事なのだが、どうしても過去に侵した過ちなどなどに目が行く…過去の自分が恥ずかしいというのは、今の自分がその時よりも成長しているということなんだろう、そう信じよう…

 

一年前の自分って何を考えていたんだっけ?どうしようもない事で死ぬ程悩んでいたのは覚えているが、何を悩んでいたのかは覚えていない。きっと今思えばなんとかなったのだろう。

そういうことを知るために日記を書くのは大事だと思った。これからもこの日記を大切にしていきたい。

 

今日、この前買ったTOEICの単語帳を一周し終えたのだが、1ページ目を見直したら覚えていない単語ばかりだったので「成長」とは難しいなぁと思う。もちろん何周もしてやっと覚えられるものなのだろうけど…目に見える成長がないとこの3ヶ月が無駄だったのではないかという気持ちになる。堕落するのは一瞬なのに上り詰めるのは本当にコツコツなの、理不尽だなぁと思った。信頼も、体重も、メンタルも、何もかも………そんなハードモードな人生だからこそ、なにか「これは自信がある!」といえるほどに努力して極めていった人達が輝くのだろう。

 

地元でずっと音楽をやっていて、自分が15歳の頃から聴いてたバンドの人達が賞を取ったり、上手くいかなくてもひたすら自分の夢を追い続けている人が「諦めないで頑張る」という決意表明をしたり、そういう事をここ数日で見て、自分に芯がある人とはなんて素敵なのだろうと思った。

私にはそんな強い芯は無いかもしれない。全く芯がないかと言われればそんじょそこらの人よりは考えているつもりではあるのだが、「これに人生を掛ける」などとして努力している人達を見ると自分はまだまだ甘いなぁと思う。どこかで保険をかけたり、たまにサボったり、理由をつけて諦めたり、そんなことばかりだった。

お金が無くても、大学生の身分でも、できることは沢山あるし、やりたいことはそれ以上にある。

当たり前のことを当たり前にやるのは当然として、そこから自分が何を出来るか、もう一度考えようと思った。努力している人は美しいから。美しくなりたい。

 

まずは、年末の帰省のことを考えなければ。昨年の年末年始は帰らなかったし、成人前に父と母と本気の話をしに行った時は1泊2日で家を出たから、最後に実家でゆっくりするのは2年以上ぶりかもしれない。

父になんて声をかけよう。かける言葉が分からない。「体調は大丈夫?」「今後も今の仕事続けるの?」「私がずっと東京にいても大丈夫?」「大学院に行きたいです」「今後のウチのこと、どう考えていますか?」「あなたはいま幸せですか?」どれも本当の言葉で、どれも今の私では芯を込めて言える言葉ではない気がする。

 

昨日知ったのだが、父と母、母が祖父祖母を見守るために帰省するという理由で1ヶ月ほど事実上の別居をしているらしい。祖父祖母はまだあと10年くらいは元気そうなのだが、いつ何が起こるか分からないから親孝行しておきたいのだそう。

母からそう聞くと「そっか親孝行しなくちゃね、ゆっくり帰省楽しんで」しか言えないけれど、本当はうちの家庭から距離を置きたかったのかな、なんて思うとますます不安になる。母は全て父親母親に契約などなどをやって貰って箱入りのよう育って父と結婚したから、社会の仕組みについて何も分かっていない。父はそういう人間を見下すタイプなので母に税金のことや保険のこと、仕事の事など何一つ教えていない。要は母は1人で社会生活が出来ないほど無知なのだ。もし父と母が離婚したら母は社会的に絶対に上手くやっていけない。真面目で優しくて本当にいい母なので、どうにか幸せになって欲しいと願っているのだが… 

ユーモアの欠けらも無い、頭は良いけどプライドが高くて短気で、でも実は臆病でコミュ障なだけの父。優しくて気を使って、自分の意見は隠して逃げて、たまにヒステリーになる母。そんな父と母の間で揉まれて心を病んでしまった私、そんな全てを見てきた妹。それでも、誰かを見捨てて殺すなんてできなくて、それはやはり家族だからで。

私はこの「家族」という呪いにどう向き合っていけばいいのか…

 

この1ヶ月はそれを考えよう。考えた末に帰省して、本当の話をしよう。そのための準備期間にしようか。

冬は長い。でも一番好きな季節。好きな季節が長いって最高ですね。冬へと走り出すお!

 

でんぱ組.inc / 冬へと走り出すお!

幕張メッセのチケット買っちゃった…

11/29

いい肉の日、らしい。

繁華街でいい肉の日を理由に割引やサービスを行っている店が沢山あって、自分もそれを理由に美味しい肉を食べようと思ったが、胃がまだ本調子ではないのでやめておいた。

胃が完全に治ったら揚げ物やお肉を食べよう。そう思いながら富士そばで温かいそばを食べた。最近外食ばかりで良くない。しかも外食を一日一食、という生活だ。とりあえず自炊をしなきゃ…帰ったら米を炊こう。

 

11月はいい〇〇の日が多い。いい夫婦の日とか。卑屈な人間なので意外がられるかもしれないが、そういう言葉遊びで何かイベントを起こすのは割と好きだ。

いい夫婦の日は、ショートケーキの日でもある。カレンダーで22日の上には15日(いちご)が乗っているかららしい。ローソンのプレミアムロールケーキにイチゴが乗る。そういう些細な日常の違いを幸せとして楽しみに生きたほうが幸せになれるはずだ。

例えば私の誕生日は私にとって特別でも、他の人にとってはなんでもない一日で、いい夫婦の日なんて自分にとってなんでもない一日で、そういうなんでもない一日の連続で人生は成り立っている。だから「この日は誕生日」「この日はライブ」など、何かの意味を付けてそれを特別な日にして、その日を心待ちにして生きた方が絶対に良くて。そういう一日は多い方がいいと思うのだ。

 

いい夫婦の日の事を考えたらオードリー若林の結婚を思い出した。自分が芸人で1番好きな人だ。卑屈で人の目ばかり気にして、必要以上に気を使って考え込んで、奥に強い思想を秘めていて、そういう所が自分にそっくりだと思っていたから。

オードリーのオールナイトニッポンで結婚の報告をした時も、すごく控えめでサラッと報告していて彼らしいと思った。ラジオでの若林さんの言う「こんな自分なんかが〜」という自虐や彼の自伝であるナナメの夕暮れに書いてた言葉一つ一つを思い返すと、彼が結婚した事は本当におめでたい事で、ぜひとも幸せになって欲しいと思うのだ。

自分が特に好きで幸せになって欲しいと思える人間が幸せになると本当に嬉しい。同時に自分も幸せにならねばと思う。

結婚は人生の墓場だと言うけれど、それは結婚ということの重みを考えなかった人々の末路なのではないだろうか。愛とはなにか幸せとはなにかを考え続けてきた若林さんの結婚は、そういった言葉に一矢報いるアンチテーゼであってほしい。

焦らなくていいから、いつか一生でたった1人この人がいい、という人を見つけたいものだ…

 

でんぱ組.inc / 最Ψ最好調!

 

最近でんぱ組にまたハマっている。ねむきゅん卒業以来あまり聞いていなかったが、新譜のテイストやコンセプトは変わってなくて良い。どう足掻いてもWWDは聴けないけど、これ以上体制が変わる前に1度ライブに行きたい。幕張のチケット買おうかな…