雲を掴むような

ハタチ。 弱い。人生をブログにしています。

蜘蛛の糸

 私は蜘蛛と同居している。小指の爪程の大きさで、黒と白の模様の蜘蛛。別に飼っていると言う訳では無い。お互いに干渉せず各々の生活をして、たまに目が合う程度だ。

 私にとって私と蜘蛛は対等な関係にあるから、同居という言葉が一番しっくりくる。だって、私が住み始めた部屋にこのクモが転がり込んで来たのかクモが住んでいた部屋に私が入居したのか分からないもの。そういう時は傲慢にならず、かといって謙ったりせず、イーブンの関係を保つのが1番だ。向こうだって寝起きに近くに居たりした事がないし、暗黙の了解で「対等かつ干渉しない」という関係が成り立っているのだと思っている。

 

 気付いたのは去年の夏休み明けごろだったろうか。大学から帰宅し部屋のドアを開けた時、真っ白な部屋の壁に動く小さい黒点を見つけた。上げそうになった悲鳴を押し殺し、動悸が落ち着くまで玄関に立ち尽くしたのを覚えている。
 秋田から上京して半年、「一人暮らしも慣れてきたから心配しないで大丈夫よ。」なんて心配性の母に伝えていたが、虫が出た時だけは一人暮らしをした事を後悔した。私は大の虫嫌いで、上京したての頃にはマンホールから出てきたゴキブリに狼狽し、仰け反って自転車に轢かれて骨折した事がある。虫は敵なのだ。
 大学の友達には「東北から来たのに虫が苦手なんて意外ね」なんて言われるけど、東北でも都心部は大して虫は出ないし、田舎に住んでいたとて虫が苦手な人は苦手だし、東京のゴキブリは地元の彼等より何倍も大きい。虫嫌いを指摘される度にあなた方東京生まれ東京育ちが無意識に地方民を馬鹿にしているのに気付いているのよ、という気持ちを込めて反論してやろうと思うのだが、結局「でしょ〜(笑)」と同意しピエロを演じていた。地元の友達とはこんな気持ちにならずに楽に話せていたのにな、なんて考えては自分は東京で1人きりなのかもしれないという不安に囲まれる日々を送っていた。

 そんな孤独感と闘っていたからだろうか、「節足動物であり虫ではない」と自らを納得させた時の安堵感からだろうか、壁を這う小さな生き物が蜘蛛だと分かった時、その蜘蛛が愛おしくなった。この子は自然豊かな山奥ではない喧騒地帯に生まれ落ちて、人間や動物や自然現象に淘汰されて疲弊して、空調の効いた私の部屋に1人で逃げ込んで来ただけなのかも知れない。少し私と似ている。そんな子を無理矢理追い出したり殺したりするのは可哀想だと思った。

 その日から、蜘蛛との同居生活が始まった。基本的に姿を見せないのだが、3.4日に1回顔を出す。私は会う度にぼそっと こんにちは という。今年の春に2ヶ月程見かけない日が続いたので出ていったのかと思っていたが、いつの間にかひょっこりと戻ってきた。もしかしたら同じ子では無いのかもしれないが、考えないようにしている。

 

 今日大学から帰ってきたら、久しぶりに彼が壁に居た。性別は分からないが、私はこの子は男だと勝手に認識している。サラッとした関係を好んでいて、自分勝手にどこかに行ったりして、それでも結局楽な場所に逃げてくる感じが男っぽいから。
 今が夏休み明けだから、丁度同居して1年か、なんて思うと少し感慨深くなり、声を掛けてみた。
 「居心地はどうですか?あなたは何者?なんでずっとこの部屋に居るの?ここが気に入った?誰かの生まれ変わり?実は小型カメラと録音機の仕組まれたロボットだったりするの?いつか人間になって恩返しとかしてくれるの?私が地獄に行ったら蜘蛛の糸を垂らしてくれる?」と。
 近づいてみても動かなかったので最大ズームして写真を撮った。まじまじと近くで見てみると、思ったよりも可愛い。蜘蛛のくせに足が短い。今気づいたが、この子は足が7本しかない。1本どこかで失ってしまったのだろうか。きっと過去に苦しい思いをしたのだろう。
彼の事をもっと知りたくなった。Googleで「蜘蛛 家 小さい 黒白」と検索したら「アダンソンハエトリグモ」だと分かった。巣を貼ったりはしない上、家のコバエは勿論のことノミやダニ、ゴキブリまで食べてくれるとの事だった。「君はそんなことをしてくれていたの?」と壁を見たが、もう彼は居なかった。虫嫌いな私を静かに守ってくれていたのだと思うと愛おしくて仕方がなかった。
 Google先生によると、触肢の先端に複雑な構造ができていればオスの成体との事だった。先程撮った写真を見直すと、触肢の先が膨らんでいた。やはり彼はオスだったのだ。私は彼に「イト君」と名前を付けた。

 上京して一年半が経つ。大学に入りたての頃に出来た友達グループが自然消滅して一時期は一人ぼっちだったり、バイト先のノリが合わなくてキツかったりしたけど、今は仲の良い友達も出来てそれなりに楽しい日々が送れている。一人ぼっちで辛かった頃、どこか安心感を与えてくれたのはイト君だった。
 彼は長い糸を作れない蜘蛛だから、私が地獄に落ちても引っ張ってはくれないだろう。それでも、彼の存在は私にとって充分すぎる程の蜘蛛の糸だ。

 鼻歌を唄いながら、イト君を吸い込まないように気を付けて掃除機を掛けた。