雲を掴むような

ハタチ。 弱い。人生をブログにしています。

空を試着する

 「いつまで悩んでんの、置いてくよ?」と友達に声を掛けられた。

 複数人で服を買いに行くのは苦手だ。気が済むまで服を選ばせて欲しいのだが、私は人よりも悩む時間が長いらしく、いつも急かされてしまう。苦手だったら断れば良いのだが、この前の一件以来、私は所属グループが自分抜きで集まっていると自分の悪口を言われてしまうような気がして不安になってしまい、無理をしてでも集まりに参加している。


 高校までは服は基本的に親に買って貰っていたので気付かなかったが、服というものは高価だ。東京の物価がそもそも高いのかもしれない。8000円は優に超えるし、友達は当たり前のようにその値段の服を買う。上京して無けなしの仕送りと週2回のバイトで生活を賄っている私にとっては簡単に決断できる額の買い物じゃない。
 そもそも東京は服屋が多すぎる。どこを見てもアパレルショップ。この店よりも良い店があるかも、なんて考えていたらキリがない。

 私に取って試着は必須だ。時間が掛かる一番の理由はここにある。私がオシャレ初心者だからだろうか、実際に着てみて、パンツも靴も1式着合わせてみないとイメージができない。家にある服に近いものをその店で探して、着合わせが大丈夫かを何度も確認しないと気が済まないのだ。

 試着といえば、少し派手な服は試着する前までは可愛いのに、私が着ると可愛くなくなってしまうのは何故だろう。無難な服はイメージ通りに着れるのに。
 平均体重より少し痩せてるくらいだし、体型が悪い訳では無いと思う。高校の頃に告白された事があるし顔もそこまで酷い訳では無いと思っている。でもマネキン通りのコーディネートに自分の顔が付くと、脳内で期待していたイメージとは全くの別物になってしまう。だから何度も試着をしては結局諦めて、誰でも似合うような無難な服を選んでしまうのだ。

 店を出る直前、ふとワンピースが目に入った。綺麗なパステルカラーの青に、雲をイメージした様な白が添えられたワンピース。私はそのワンピースに一目惚れをしてしまった。手に取ってみたかったが、友達を待たせていたので諦めてその場を後にした。

 

 家に帰ってからも、あのワンピースが頭から離れなかった。あの服が私を待っている気さえした。欲しい。着てみたい。やっぱり自分には似合わないな、となるのは薄々気付いているけど試着がしたい。試着して良かったら値段が幾らでも奮発して買ってしまおう。良かったら、って何が良かったらなんだろう。私の良い、悪いの判断基準って何?人から「良いね」って言われても素直に納得出来ないのに。
 そもそも似合うとはなんだろうか。この人はスカートが似合わないとか、大人っぽい服が似合わないとかよく聞くけど、それってただの価値観の押しつけではないのだろうか。俳優やモデル、オカマのファッション評論家などに価値観を刷り込まれた事に気付かないマジョリティーがマイノリティーを淘汰しているだけな気がする。


 服についてこんなに考えるの、馬鹿馬鹿しくなってきた。そういえば、今日のTシャツ新しく買ったお気に入りだったのに誰にも気付かれなかった。他人の衣服なんて皆意外と気にしていないのかもしれない。気にしているのは自分だけだし、見られていると思うのは自意識が過剰なだけだ。無難な服が0として、MAX前衛的な服を100、ボロボロの服とか全裸(全裸は前衛的かもしれないが…)をマイナス100としたら、±80に収まる服は明日には忘れ去られる。何を着ていても、私は私。それだけは変わらない。私が見て欲しいのも「私」以外の何物でもない。だったら何を着てもいいじゃない、と自分に言い聞かせる。
 あれ、私は何に悩んでいたんだっけ…あの時の私は何で泣いたんだっけ。

 

 成人式用のレンタル振袖の試着に友達グループで行った日のことを思い出す。あの日、写真屋さんが何枚か写真を撮ってくれて、一枚気に入った写真を選ばなければならなかったのだけれど、私はどうしても選べなかった。みんなが1.2分で早々と決めているのに何も出来ない私が不甲斐なくて、苦しくなってその場で泣いてしまったのだ。
 みんなにはこれとかこれ良いじゃん、なんて言われたけど、私は何をもって「良い」なのか分からなかった。だってどれも「着せられてる」という感じが浮き彫りだったもの。何で似合うと思えないんだろう、なんてずっと考えていたら写真に写っている人間が私なのに私じゃなく見えて、パニックになってしまったのだ。

 私は「普通」の人だと思っていたけど、「普通」に拘り過ぎた変な人なんだな、とこの日初めて気づいた。

 

 渋谷駅には前衛的なを服を着た人が沢山居る。それを見る度に私は凄く羨ましく思うし、同時に「似合ってないよ、身相応の服を着ようよ」と思ってしまう。妬みだ。天邪鬼だ。
 「私はこの服が好きだからこの服を着るの。」って堂々と好きな服を着て街を歩く人達、良いなぁ。そういう人達のことを考えていたら、少しずつ私のことが分かってきた。きっと私は無意識に私の事が嫌いで、1人じゃ何も出来なくて、敵を作ったり輪に入れなかったりするのが怖いから、「私」という個性を殺そうとしていたのだ。
 あぁ、ありのままの自分を愛してあげたい。そうすれば好きな服を着れるかな。でもありのままの自分ってなんだろう。自分を愛してあげるには、周りの空気を異様に気にするのを辞めて、言いたいことはちゃんと言って、偏見なく人の話を聞いて思うまま感情表現して…ついでにあと3キロくらい痩せなきゃ。でもその努力をした後の私はありのままの私なのだろうか?その努力をしたら今の自分のアイデンティティや思想は消滅するのだろうか。それは私なのだろうか…分からない…

 

 

 考え疲れて、いつの間にか寝てしまっていたらしい。時計は朝の5時半。窓を開けたらスッキリとした青空が広がっていた。あまりにも気持ちいい青空だったので気晴らしに外を歩く。10分くらい歩いた後、肌寒かったのでコンビニで肉まんを買った。

 空を眺めながら肉まんを食べていたら、あのワンピースを思い出した。昨日何について悩んでいたのかは半分くらいしか思い出せなかった。そういう「私」も「私」なんだなと思う。

 後悔や羨望や自己嫌悪がない人なんてきっと居なくて、それでも過去には戻れなくて、今までの過去全てを通して他の誰でもない私がいて、私にしかこの空の下でこの肉まんを味わうことは出来ないのだと思った。そう思うと108円の肉まんも高級品の様に感じた。

 今日は登校まで時間があるから、いつもより少し派手めなメイクをしてみよう。学校が終わったら、あのワンピースを試着しに行こう。

 肉まんの最後の一口を食べ終え、足早に家に帰りながらそんなことを思った。