雲を掴むような

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【零落 紹介/感想/考察】ラストに深澤が流した涙は嬉し涙なのか【浅野いにお】

今回は浅野いにお先生の「零落」について記事を書きます。

先月発売された浅野先生のエッセイ「漫画家入門」を呼んだときに真っ先にこの作品が浮かびました。

この作品のラストには様々な意見がありますので、私も見解を述べてみたかった次第です。

「紹介」→「感想&考察」の順で書かせて頂きますので、未だ読んでいない方は紹介を読んで興味を持って下さったら、考察を読む前に作品を手に取り、その上で考察を読んで頂けますと幸いです。

 

また、「これはこうだ!」とキャラクターの心情を確定させる事は野暮で、何より趣がないので、「私はこう思いますよ、」というゆるりとした私個人の一意見として楽しんでいただければ幸いです。

零落 作品紹介

 零落は浅野先生にとって通算10作目の連載作品で、ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて2017年7号から16号まで連載されました。単行本は「新装版ソラニン」と同時に発売され、デビュー作とそれから11年後の最新作を同時に読めることが話題となりました。

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気づいている方も多いと思いますが、零落の最初に出てくる猫顔の女性は別れ際「虹色の長いマフラー」をしています。ソラニンの歌詞にある特徴的なワードです。スペリオール第1話掲載の巻頭カラーという前段階からソラニンとの同時出版に掛けてくる浅野先生、さすが…

 

零落とは、中年の漫画家 深澤薫 が8年間の長期連載を終えた後の話です。

言葉自体の「零落」は、「おちぶれること」大辞林第三版より)を意味します。

連載終了記念パーティーの深澤の言葉を誰もしっかりと聞いていない。編集者の妻とはすれ違いの日々。若い漫画家たちの躍進。薄っぺらい漫画が売れていく社会。昔の恋人に似た猫顔の風俗嬢との邂逅。そんな中で生きる葛藤を終始深澤視点で描いたヒューマンドキュメントです。

 

ソラニン連載から11年、浅野いにお先生が漫画家という職業や失敗のできない年代「中年」という現実と向き合った非常に深い作品となっています。

 

ちなみに、主人公の深澤は浅野いにお先生の「おやすみプンプン」に登場しているのですがご存知だったでしょうか。

おやすみプンプン91話にて南条とプンプンが編集部に漫画を持ち込むシーンで後姿が1コマだけ書かれています。編集者には「ここだけの話、単行本はそこそこだけど雑誌牽引するほど人気はないし、雰囲気でゴリ押ししているだけで中身は薄っぺらですからねー…サブカルというかサブカル風味?」というやや厳しめの評価を受けています。

 

「ここだけの話」と編集者は言っていますが、零落第1話の帰るタクシーの中での深澤の話から、編集部からこのような評価を受けていることは理解しているようでした。

 

「零落」は常に深澤の一人称視点で描かれるため、編集部の深澤への直接的な批評は見られません。しかし、「おやすみプンプン」という別視点ではしっかりその批評を見ることができます。

 

気になった方はおやすみプンプンを読み返してみてください。

こちらの考察と合わせて是非。

gumichoko.hatenablog.com

 

 

 

余談ではありますがスペリオールの2017年6号では押見修造先生の「血の轍」の連載が始まったため、浅野先生と押見先生の2号連続連載開始となりました。サブカル漫画好きは狂喜乱舞したことでしょう。かく言う私も、スペリオール6号の表紙と7号の表紙を並べてはデュエルマスターズの竜極神ゲキメツを入手した時のごとくゴットリンクと解除を繰り返して楽しみました。いつか押見先生の漫画紹介も書きたい...

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ゲキとメツを合わせることをゴットリンクという

 

 

ここから、感想と考察に入っていきます。未読の方は是非「零落」を読んでから続きをお読みください。

 

 

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零落 感想&考察

何度も申し上げますがこれはただの個人の一意見ですので悪しからず…

私が零落を読了したときに感じたのは、浅野いにお先生の懺悔にも近い告白の念」でした。そして何より「漫画家とファンの間にある溝」を描きたかったのだと感じました。

深澤薫は浅野先生自身をモデルにしていると考えられるため、深澤の漫画思想やファンとの関係性は、浅野先生のそれのメタファーになっていると考えられます。浅野先生は深澤を通して、自分の心情を吐露したのだと結論付けました。

勿論この作品はフィクションであり、登場人物も架空であるということは大前提ですので、登場人物には参考にした実在人物がいる、という程度に思っていただければと思います。

 

ちなみに

作中で時折深澤にTwitterでリプを送り、物語最後に大きなパーツとなる「アカリちゃん」は実在する浅野先生のファンをモデルにしており、その子がサイン会に来た際に、作中と実際に同じポーズを取ってもらい、資料写真も撮ったそうです(コミックナタリーインタビューより)。

もうひとつ。これは考察ですが、深澤の妻が担当している漫画家「牧浦かりん」ですが、私は東村アキコ先生がモデルではないかと思っています。牧浦の初登場時は思わず笑ってしまいました。

  1. そもそも顔とスタイルが似ている。
  2. 牧浦かりんの「進め!!女の漫画道」の絵柄がほぼ東村アキコ先生。というか単行本表紙の構図が「東京タラレバ娘」。「進め!!女の漫画道」は累計500万部の大ヒットをしており、「東京タラレバ娘」も累計500万部売れている。
  3. 作中で2016年奨学館コミック局感謝の会で深澤と牧浦は会話をするが、2016年東村先生は雪花の虎小学館で連載中だった。

牧浦かりんの描き方があまり良くなかったので、「浅野先生、東村先生と何かあったの...?」と思ってしまいました。調べてもそのようなものは出ませんでしたが、もし何かご存知の方がいたら教えてください(笑)

以上、作品にはまったく直結しない考察でした。

 

浅野先生が描きたかった「漫画家とファンの間の溝」

 

私は「零落」という作品は、サイン会でアカリちゃんが「先生は私の神様です」と言い、深澤が「君は何も分かっていない」と涙するシーンの為だけに、その他の全てが描かれていると考えています。

そして、あの涙は少なくとも嬉し涙ではなく、この物語はハッピーエンドではないと考えています。

 

なぜ嬉し涙ではないのか

 

深澤の涙が嬉し涙だとするならば、考えられる考察は

  1. 深澤は自己嫌悪に浸っていた。
  2. アカリちゃんが泣きながら思いを伝えてくれる。
  3. 「君は何も分かっていない(自分はそんな人間じゃない)」と卑下しつつも、こんな自分を応援してくれる人がいることに涙する。

といったところかと思います。

 

しかし、アカリちゃんが自分の大ファンでいてくれることは前々からTwitterで深澤は知っていましたし、「馬鹿でも泣ける様に作りました」と言っていることから、アカリちゃんがサイン会現場で涙したことに感動して自分も涙した、と言うのは私的には考えにくいです。また、後述しますがこの時の深澤は「漫画家が世界で一番偉い」と思っている為、読者に対して卑下することはないと思っています。

 

「君は何も分かっていない」の君とはアカリちゃんであり、深澤を神だと思っているファンのことです。

サイン会当時の深澤は、アシスタントには強く当たり、書店員に本を褒められても「馬鹿でも泣ける様に作りましたから。今の漫画読者にとってはこの位媚びた感じが丁度いいんでしょうね。まあ娯楽なんて騙したもん勝ちでしょ。」という、完全に他人や漫画を見下した態度をとっています。妻を半レイプした後に最悪の形で離婚しており、社会人としても終わっています。

 

深澤がアカリちゃんのリプに返信をしていたシーンがあることから、深澤はアカリちゃんの応援メッセージを割りと好意的に受け取っていたと思われます。そして、そのアカリちゃんが実際に会いに来て、「馬鹿でも泣ける」と評した自分の作品に心から感銘を受けていて、先生は神様だ、と言う。そこで出る「君は何も分かってない」。

 

この「君は何も分かってない」は決して自らの卑下ではなく、本当にアカリちゃん、そして自分を崇拝する読者たちは何も自分のことを分かっていないんだ、と言う意味合いを持つと考えます。そして、後述しますが、かつて言われた「化け物」という言葉と「神様」という言葉の間にある溝が浮き彫りになるのです。

 

深沢は、深澤とファンの間に存在する大きな溝に対して涙してしまったのだ、と私は結論付けました。

 

溝のこちら側と向こう側にあるもの

「君」は「何も分かっていない」なら、「誰」は分かっているのでしょうか。

対比になっている言葉として挙げられるのは、最終話での深沢の独白「彼女のその言葉によって、自分の人生がやすやすと予言されてしまったような気がして、僕は背筋が凍った。」だと思われます。

猫顔の彼女の言葉とはこのようなものでした。

  • あなたは化け物
  • あなたは誰かを傷付け死ぬまで一人ぼっち
  • あなたは漫画家が世界で一番偉いと思っている。

 この時の深沢は、自ら語るほど漫画愛に満ち溢れていました。しかし、深沢はこの言葉を受けて、今後の漫画人生すべてに呪いのようなものを受けてしまうのです。

 

 深澤は、彼女の言葉が現実にならないように、そして彼女が言った「あなたは漫画家が世界で一番偉いと思っている」という言葉を否定するように、「漫画家が嫌いだ」と主張し続けます。深沢が結婚を選んだのもその為かもしれません。

 

それでも最終的には、人を傷付け、一人ぼっちで、周りを見下す「化け物」になってしまいました。彼女の言葉の通りになってしまったのです。

 

読者側にあるのは、感動の人気作と神様と称えるべきその作者。

しかし深澤側にあるのは、「馬鹿でも泣ける様に作った漫画」と化け物。

どうしようもない溝に深澤は涙を流し、かつて言われた猫目の彼女の言葉が現実になってしまったことが分かり、物語は幕を閉じるのでした。

これが私の思う「零落」の全貌です。

 

「ちふゆ」は?

物語に多く関わるちふゆちゃんにも触れようと思います。猫顔に確執のある深澤は猫顔の風俗嬢ちはるに惹かれ関係を持ちますが、「ちふゆの眼は野良猫のではなく、人に愛玩される事を知った飼い猫の眼なのだ。」として結局彼女との関係を絶ちました。

深澤は彼女には漫画家であるということをひた隠しにしていました。しかし漫画家だとばれてしまい、「台無しだよ。」といいます。

深澤は誰かに自分を漫画家としてではなく一人の人間として見て欲しかったのだと思います。そして、かつての猫顔の彼女との思い出を上書きしたかったのではないでしょうか。

深澤の人間味を引き出す重要なキャラクターになっています。何よりかわいい。

 

最後に

浅野先生はコミックナタリーのインタビューで「零落のラストがハッピーエンドだと誤読されている」とはっきり述べています。

https://natalie.mu/comic/pp/asanoinio/page/3

ではこの物語は「バットエンド」でしょうか。私はそれも違うと思います。

 

深澤の今後の人生は深澤自身にも分からないものです。

深澤の新作は売れるでしょうし、深澤のファンは応援し続けるでしょう。深澤は読者と作者の溝に涙した後、それにより考え方が変わるかもしれません。

そもそも人間のリアルな人生に「ハッピー」または「バッド」な「エンド」が存在しないのではないでしょうか。1人の人間の人生を描いた作品と言うところでそれ以上は追及するべきではないのかな、と思いました。

 

 浅野先生はインタビュー内で作者の自分と読者の価値観が違うと言うことを表現したかったのだとも述べています

私も「浅野先生は神様!」みたいなことを言うファン側なので胸が締め付けられました。

しかし浅野先生はそんなファンにこそ、この思いを伝うべく「零落」をこのようなラストにしたのではないかと思います。そこにどういう意図があるかを私が考えることはもっとも野暮な行為で、読者1人1人に委ねられたものだと考えます。

 

私の記事に出会ってくださった皆様がもう一度「零落を読み直したい」と思い、零落のラストや浅野先生の意図を考えてみようと思って下さったのであれば、野暮なことをした私の冥利に尽きます。

 

ご意見やご感想をお待ちしております。

 

それでは、おやすみ…

 

 

 

 短編小説も書いています。お時間あればご一読下さい。

 

gumichoko.hatenablog.com

 

 

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 最後まで読んで下さりありがとうございました。