雲を掴むような

二十歳の原点、卒業式まで死にません、八本脚の蝶

毒親とSOL

ふと自分の話をしようと思ったので書きます。現在20歳、大学2年。大学では臨床心理学を専攻しています。趣味は読書をすることと、音楽を聴くこと。ほんとはこれくらいのものです。基本的に自分語りをする人はろくな人ではないので、ここまで。

だけどせっかく自分の人生をブログにしようと思ったのだから、もう少しだけ書いてみようと思いたった。なんで本が好きなのかとか、なんで音楽が好きなのか、等。最近ちょっと大きく変わったこともあり。死にたいなぁと思ってる10代の人たちが少しこのブログを見てくれていることが分かったので、何とかなるよって事を言いたいな、と思ったので。


生まれは地方都市の普通の一軒家でした。父は厳しいけど、母は優しい。そんなよくある家庭で不自由なく育ってきました。小一の時、祖父がやっていた事業を父が引き継ぐことになり、今の実家に引っ越してきました。そこは、地区に同級生が一人もいないレベルの田舎の山の中で。その事に何か気持ちを抱けるような年齢ではなかったので、ただただ訳の分からぬままそこで過ごしていました。通学バスで30分、1学年20人前後という学校に転校し、小さな小さなコミュニティの中で中3までの9年間を過ごす事になったのです。

転機は中1の時。2つ下の妹が難病指定の病気を罹い、家庭の雰囲気は絶望的なものになりました。後から聞いた話ですが、その時父は精神病になっていたらしい。直接言われた事はありませんでしたが、「iPS細胞の研究が進めば妹の病気が治るらしい」「若くなりたい、医者になって研究できれば…」などと口々に私に言うようになり、私はその意志を引き継がなければならなかったのです。

そこから、「部活後に1日に3時間、難関私立高校の問題集をノートに解いて父に提出するまでゲームテレビスマホなど一切の娯楽禁止(夜10:30以降も禁止)」という生活が始まりました。そして上手くいかなければ、殴られる日々。父親とは敬語で話すようになりました。

 狭いコミュニティの中でハブられたくなかった私はパズドラをする為に、何より好きな子とLINEをするために必死で頑張りました。

部活後、家に帰って18:30。ご飯を19:00までに食べる。部屋に篭って22:00まで勉強して父にノート提出。父がノートにOKをだしたら、父のスマホで22:30までパズドラとLINE。終わったら風呂に入って寝るという生活。

もちろんそんな生活をしてる事は同級生には言えず、同級生達が羨ましくて仕方がなかった。親と笑って話して、好きなだけLINEもパズドラもして…中間テストの結果が帰って来た時「お前は勉強出来るから楽で良いよな」と同級生に言われたのが忘れられない。その言葉を放った無責任さが憎くて憎くて。

思えばその頃から、同級生と上手く接せなくなってしまった。同級生もそれを察したのか、私を疎ましく思うようになりました。私はたった20人前後しか居ない、7年過ごして来た、あと2年間過ごすコミュニティで孤立したのです。

学校で孤立していることは家族には言えない。家庭で生活を支配されていることを学校の誰にも言えない。どこにも居場所がない自分は毎日、登校も下校も通学バスの一番後ろの左の席で泣いていました。見出した救いは、父が中学入学の時に記念に買ってくれたWALKMANでした。父はWALKMANの存在を忘れていたのか、それだけは没収しませんでした。

WALKMANに入れている、たまたま家にCDがあったウルフルズTHE BLUE HEARTS、近所のお兄さんが入れてくれたBUMP OF CHICKENが、自分の全てでした。

後はウォークマンでたまたま聞いたスクールオブロックという音楽のラジオ番組と読書。それだけを支えに中学を生きてきた。

 

高校は、県の中で1番偏差値の高い高校に合格しました。テストで1位を取っても褒めてくれなかった父が褒めてくれました。高校は実家から遠かったので、私は親元を離れて寮で生活することになりました。「絶対にこの学校に合格して、地元を離れてやる」という執念で勉強したので、泣くほど嬉しかったのを覚えています。

 

さて高校生活から1ヶ月、私は「自分で勉強する方法や目的」を知らないことに気づいたのです。自分の中にあるのは、父への怨みと、中学の同級生への怨みと、それらを抱えている自分へのコンプレックスだけ。

何をしても虚しくて、学校にいるだけでヘトヘトで。勉強をしなくなったら周りとの差がどんどん開いて。学校に行けない日も少しずつ出てきてしまいました。そんな人間なのにも関わらず、空気を読んで相手が言って欲しそうな事を言える能力に人一倍長けていた私は、「誰も居ないなら自分がやりますよ」「誰もやらないなら自分がやりますよ」という事を繰り返しているうちに、気付けば生徒会長になっていました。どこかで父親に認めてもらいたいという気持ちがあったのかもしれません。

 

任期の間ずっと「こんな人間が人前に立っていいのだろうか」という自意識や周りの人間の期待と戦い、任期が終わった頃には肉体も精神もボロボロで、眠れなくなり、人気を全うしてからは学校に行けなくなってしまいました。学校に行かない間、ひたすら本を読んだり音楽を聴いたりしていました。TSUTAYAで本を借りて、CDを借りて。BOOKOFFに通って片っ端から本の立ち読みもしました。スクールオブロックもよく聴いてました。

心療内科に行ったこともあったけど、18歳以下を親無しで見てくれる所では無く、薬などは貰えませんでした。

 

そんな日々でしたが、いい友達に恵まれて何とか学校に来れるようになり、「自分みたいな人の話を聞いてあげれるカウンセラーになりたい」と思うようになりました。

そして今の大学に入りました。父には見放された様だったので自分で全部決める事にしました。奨学金をかき集め、入試で上位5位に入り授業料免除の特待を貰って。大学に入ったあとの成績で貰える奨学金も頑張って取りました。

足りなかった分はJASSOと父に借金をしています。どうしても突然まとまったお金が必要になった時にWordで父宛の金銭消費貸借契約書を書いて、貸してもらいました。

バイトして、勉強して、周りの大学生を見て何で自分の生活こんなにきついんだろうと思うこともありますが、生きています。

 

ここからが言いたかったことです。でも最近、人生が好転してきている感じがする。

20歳の誕生日、成人を機に自分の呪いを解こうと思って、地元に帰って親と話をしてきた。今までの自分の苦しみと思想の話。父は、自分も父(私の祖父)に同じように育てられてきた事や、精神病の事を話してくれました。妹が病気になった頃の自分は少しおかしかった、と。謝られたりはしなかったけれど、それなりに父と話せるようになりました。

2つめ。自分と同じような境遇で育ってきた人と出会いました。その人は自分よりも沢山借金を持っていたけど、それでも海外留学をして自分のやりたい職についていました。自分一人だけだと思っていても、意外とどこかで理解者に会えたりするのです。その人とミスドで話して号泣したりしました。

3つめ。2020年からJASSOの新しい奨学金がスタートし、該当する人は授業料の免除を貰えたり給付金を受け取ることができます。私は今のところ該当するので、何か問題が無ければこれを受け取ることが出来ます。

自分の趣味の時間やゆっくりする時間を増やす事が出来るようになりそうです。

 

15歳の時は怨念とコンプレックスだけで出来ていた私が20歳になった今、私の中にあるのは、不登校の時に読んでいた本や聴いていた音楽、そして自分で自分を決めれる自由だったりする訳です。5年は10代の人からしたら途方も無い時間かもしれませんし、今の環境からは一生逃れられなくて、お金が無いから自由もなくて、理解者も一生現れないと思われているかもしれません。それらが原因で、死のうと思っているのかもしれません。でも、それでも、希望を持ったり自分の好きな物に縋って生きてれば意外となんとかなったりすることだってあります。

今死のうと思っている人、あと3年待ってみませんか?

辛かったら、学校に行かなくてもいいので本を読んだり音楽を聴いたり、ラジオ番組を聴いてみたりしませんか?多くの人は他人事だろうし、辛いアピール乙だろうし、「あなたに私の何がわかるんだ」なんだと思います。

それでも、私のようなあなたに届く事を願ってます。