今日、バイト先に「12月いっぱいで退職させて下さい」と伝えて来た。
家族再構築計画の為に。
私の家は、厳しい父と、父に溺愛される病気の妹、そして支配される母と私で構成されている。
詳しくは以前記事を書いたのでこちらを読んで頂けると嬉しい。
私は父に対して圧倒的な恐怖と嫌悪を持ち、父もそれを悟ってか私との縁を遠くした。
その関係性は家族全体の空気に伝播し、私が高校進学で家を出てからは家族一人一人が孤立した状態。
久しぶりに帰省しても特に食卓での会話はなく、黙々と食べて食べ終わった人間から日常に戻る。そんな関係性だ。
いくつか例をあげようと思う。
私が大学に特別待遇で受かった時も、この程度の会話しかない。
私が急遽お金が必要になった時に、金銭消費貸借契約を書面で結ぶ。私たちの関係というのはそれほど希薄だ。
家族というのは、社会的責任で繋がっただけの個人個人なのではないかという気持ちにさえなっていた。
家族というのは、成人するまでは人生の全てだ。成人してからも、家族で過ごして来た時間の中で得てきた思想は一生消えることの無いものだ。
その家族というものが、私にとっては呪いだったのだ。
私は、その呪いが一生私にまとわりつく事が心の底から嫌だった。
20歳の直前、私は呪いを解くために父母に話をしに行った。
「父」「母」を圧倒的な存在としてでは無く、「私」を子供としてでは無く。一人一人の人間として、これまでの話とこれからの話をした。
私がこれまでどれほど家族や地元を恨んできたのか、どのような思想を孕んでいるのか、これからどういう事をしたいのか。あなた方は今後をどう考えているのか。泣きながら夜通し話した。
それにより、少しではあるが私と父母の関係は改善された。
そして先日、父が倒れた。
かなり広範囲の慢性硬膜下血腫。再発や後遺症の可能性も大いにあり、もう車には乗らないで欲しいとの事だった。
ずっと「死んでしまえ」と思っていた父だったのだが、いざ死ぬかもしれない、となると苦しい。父は絶対的存在だったのだ。私の人生の多くは父に占められてきたのだ。
それは妹にとっても、母にとっても同じだった。
絶対的存在が初めて見せた弱気な姿や衰弱した姿を見て、改めて私たちが家族なんだという事を認識させられたようだ。
我々が結束しなければ、という空気が生まれ始めている。
私は1つ、決断をした。
私はこの機に、家族を再構築させるのだ。
私が羨み続けた、家族の会話があって、笑い話が出来て、支え合える、あの「家族」に私達もなるのだ。
私は「自分のような経験をしている子供達や家族を救いたい」と願い、心理カウンセラーを目指して勉強していた。
しかし、私は私のことを救えていないという事に気付いたのだ。
なぜ私の家庭が救えなくて、他人の家族が救えると思っていたのだろうか。
父と、母と、妹と、しっかり話をして、支え合っていける家族にしていこうじゃないか。
それの中心になれるのは、きっと私だけだ。
バイトを辞めて、冬休みと春休みはずっと地元にいる事にした。
色んな考えやプライドや過去のしがらみやトラウマと、戦うことになるのだろう。
それでも私は、私達たちは戦わなければならない。
私達は勝手に不幸に陥っていただけで、幸せになる権利があるのだ。
私達は家族なのだ。手を取り合わねばならないのだ。
私は、家族再構築計画を始める。
その決意を、ここに記そうと思った。