雲を掴むような

ハタチ。 人生をブログにしています。

10/24

今日はお休みだったが7時に起きた。早く寝て早く起きる生活を続けられている。

 

私はインドアな人間なので休みは部屋から1歩も出ない日なんてざらにあるのだが、今日は外の空気を吸って日光を浴びるみたいな動機で外に出てみた。

今が気持ち的に安定しているからこそ出来ることなのだとは思うのだが、やはりとても気持ちがよくスカッとした。鬱気分だから外に出ない、というのはどうしようもなく悪循環なのだ…風呂にすら入れないし…

 

自分の力や意識だけではどうしようもならない時もあるのは経験上分かっているのですが…冷静に考えると鬱の時に鬱になることをしたくないなぁ。

 

気持ちがキツい時にそれを吐き出せる場所や人、光を差し出して、までは行かなくても見出させてくれる他力が必要なのだ…

いつか誰かのそういう人になれればいいなぁと思う。

 

外に出たので2週間ぶりくらいにドラクエウォークをしたが、りゅうおうにボコボコにされてしまって面倒になってしまったので辞めた。

 

「なかまになればせかいのはんぶんをおまえにやろう」

という誘惑にうちの僧侶が持っていかれてしまい、武闘家が超さみだれ突きで蜂の巣にしてしまった。

支え合ってきたはずの仲間内での殺し合いを見てしまって悲しい気持ちになった。

 

「せかいのはんぶんをおまえにやろう」って、美味しい話過ぎませんか?

りゅうおうは仮にも世界を絶望に追い詰めるほどの力があって、その誘いを断った時には「愚か者め!思い知るが良い!」って戦いを挑んでくるわけで。「勝算があるか微妙だから相手への利益を提示する」みたいな弱気な提案では無いわけじゃないですか。そういう動機なら世界の2割とか位でお互いの利益が釣り合うと思うし。

 

それに気付かず「世界の半分」という利益に目が眩んだ僧侶に失望した…武闘家が怒ったのも最もだと思う。僧侶には1番レアな防具を着せてあげていたのに。我々に何の不満があったというのだ。

 

世の中の儲け話は、力を持った側が更に自分の利益を得る為に相手をカモろうとして、異様な利益を提示しているだけに過ぎないのだと思ってしまう。

 

やはりブロガー界隈にフォローされたりすると、「コレをするだけで儲けます!」みたいな提示が多い。そういうの以外にも、「俺が若い頃ならこんなチャンス見逃さなかった」系とかも。

 

私はひねくれていて、人の裏の裏の裏を見ようとするし、世界は厳しいと思ってるし、世の中はエゴだと思ってるからそういう誘いはお断りさせて頂いているのだが、それを信じてみたらどうなるのだろう、という気持ちは常に持ち続けている。

 

そりゃあ私だってお金は欲しいよ。お金は、欲しいよ…

わざわざ「あなたに儲けさせたい!」みたいに連絡をしてくれる人を信じたいし。本当にそう思ってくれているかも知れない。

 

でも他人である私にその労力を働く貴方のメリットは何、という所に常に目がいく。私は不勉強だし無知な人間だから分からない。お互いにメリットが働く仕組みがあるのかもしれないし、無いのかもしれない。無知が一番怖いのだ。

それを知っているだけましかもしれない。哲学が好きでよかった。ソクラテスありがとう…

 

何より自分はお金が無いから失敗が出来ない。詐欺とかでお金や社会的地位を持っていかれたら、精神的にも身体的にも大き過ぎる物を抱えてしまう。

そのリスクとを天秤に掲げた時に、やはり知らない他人に身を委ねるという事がどうしても出来ないなぁ。

 

 

金は命より重いと思いますか?どこぞの焼き土下座のオジサンが教えてくれたのですが。

 

お金は大切なのは確かで、あればあるだけ良いのは勿論なのだが、自分は優しい人間になれればそれで良いな、と思った。

 

どんなにお金を持っていたとしても「お金だけが全てでは無い」などという言葉が負け犬の遠吠えにしか聞こえないような人間にはなりたくないと思った。

 

 

世の中には、動く人と、動かす人と、動かされる人がいると本で読んだ事がある。

動かされる側に居るうちは、搾取される側なのだと思う。

少なくともそこには居たくないなぁ。

沢山動こう。そうしたら夜もぐっすり寝れそうだし、一石二鳥ですね。

 

 

くるり / 春風