雲を掴むような

ハタチ。 人生をブログにしています。

10/29

昨日バイト前に軽く1時間程度の仮眠をしたのが良くなかったらしく、夜一睡も出来なかった。 

最近規則正しい生活ができていたのでとても良くない。

 

ショートスリーパー理論みたいなのをゆうきゆうが提唱しているのを見た事があるが、やはりサーカディアンリズムは実在すると思うので私的にはあまり信用ならない。

1時間くらいの睡眠でぱっと起きれるかと言われたらそれは一応起きれるし目も冴えちゃうのだけれども。

でも今日1日胃痛はするわ頭痛はするわダルいわメンタルもダメだわ、で「ダメダメ」の一日になってしまったので、やっぱり人間は正しい時間に寝て正しい時間に起きるべきなのだ。本能の赴くままに……

 

睡眠の薬を飲んでいる私は本能に反した人間なのだろうか。私の本能は何を求めているのだ……?

食欲も、睡眠欲も、性欲も、まばら……真に求めているのか分からない……

生物としての根本的な何かに反しており、神様から何かしらの罰を与えられるのでは無いかと不安になる。

普通になりたい………普通って何……

 

でも、そんな日を書き換えるほどの良いニュースもあった。

 

今日、友人から「恋人ができた」という連絡があったのだ。

その友人は日記にも度々出てきていた人で、自分とずっと「恋とは、愛とは、普通とは、幸せとは、自己肯定感とは…」という話を5年間もし続けてきた人で。

そんな友人に初めて恋人が出来たのだ。過程を知っている分、心から祝福できた。本当におめでたい。

こんなにもおめでたいのだから、友人は付き合った事がバレるのが恥ずかしいと言ったが、何も恥じることは無いと思った。

 

思えば、恋に現を抜かし、「付き合いました」と「別れました」を繰り返し、己の「性」を武器に戦い、性欲に溺れ挙句の果て公共の場やSNSで性を語る人達を我々は見下し続けていた。

でもある種それは妬みのようなものであり、自己肯定感の低い自分への嫌悪そのものだったのだ。

そんな生活のなかでいつしか我々は「私達が幸せになってはいけない」「私たちはあちら側の人間になってはいけない」「普通になってはいけない」というサブリミナルを埋め込まれていたのかもしれない。

 

でも、もういいのだ…

事実として、個の人格を「唯一無二の大切な人」と思ってくれる人を手にしたのだ。

0を1にしようという大きな覚悟によって……

 

ならば幸せになるべきなのだ…誰に何を言われ、どう見られようと幸せになるべきなのだ……と思った。

 

私と友人は周りを憎み妬んで育ってきた分、幸せというものに耐性がないのかもしれない。

自分が幸せになっていいのか?という疑問、幸せというものに対して自らが張った壁、ロック…そういうものが存在しているのかもしれないと感じた。

 

自分がそう思い込んでいるだけで、人間誰にも幸せになる権利があるのだ。

自分にとって自分は他でもない唯一無二の自分だが、社会から見たらどこにでもいるただの人間で、恋人が居ようが幸せになろうが、関係がない事なのだ。

だったら、幸せになるべきなのだ………

 

 

友人が勇気を出して幸せを獲得したのを知って、自分も頑張ろうと思った。

思い返せば、自分はかつて様々あった恋愛に関するチャンスやタイミングを、「私はそういう人間ではないから」という理由を無意識に掲げては遠ざけていた気がする。

 

でも初めてのレベルの大きさで「この人と共に居たい」と思える人が今は居るのだ。

自分の世界観の中では有り得ない自体なのだが、一般世界には有り触れた価値観なはずだ。

どこにでもいる、ただの人間が恋愛くらいしてもいいだろう。幸せになってもいいだろう。

 

そんな事を思い、バイトの後にその友人とLINEをしながら散歩をした。

思ったよりも空気は冷え込んでいて、夜風は気持ちいいを超えて少し痛かった。思えば10月も終わる。神無月が終わって神様が戻ってくる頃だ。そろそろ私にだって神様が付いてきてくれてもいいのではないだろうか。これから、ちゃんと眠って、食事もとって、恋愛もして、ちゃんと神様が作りたもうた「生物」に順じていく所存なので、どうか、手助けはしてくれなくても、見守っていて欲しい。

クリスマスまでに……とかはどうでも良いのだが、せめて好きな人が卒業するまでに言うべきことをちゃんと言おうと思った。

 

クリスマスがどうでもいい、とか言っちゃだめかな…でもどうでもいいや…環境や周りの空気に流されないで、メロディーや哲学や言葉全てを大切にしたい…

 

全部が全部上手くいくように、やる事やるだけ。

 

Tohji / on my own way