雲を掴むような

ハタチ。 弱い。人生をブログにしています。

12/2

大学に行って、ちょっと好きだった人(哲学のアシスタントさん)と一緒に帰って、30分くらい電車で「生きることの意味」みたいな中々に深い話をしてちょっとずつお互いの過去の話をして、別れ際にTwitter(リア垢の方)を交換して、その人のTwitterを見てその人に恋人が居ることを知った。なんとも言い難い気持ちになったので、一つ前の駅で降りて歩いて帰った。

 

はぁ……………その人とこれからどう接するべきなのだろうか。その人とずっと仲が良くて漫画を貸し借りして、授業終わりに毎回話しながら帰って、LINEもずっとして、「いちかの話聞いてポケモンしたくなった、いちかがシールドならソード買うよ」ってソード買ってくれて、些細な話とか哲学の話とかポケモンの話とかして、それがただ楽しくてそれだけで良かったのだけれど。

 

帰りながらその人の2万を超えるツイートをずっと追いながら「ああ、こういうひとだったんだ……」と思うのを繰り返した。というか繰り返している。もちろん自分と似たような人間であることに変わりはなく、ツイートに共感する部分も多々あるのだが、学校での静かなイメージではない見せない一面を全てさらけ出させられ、それが自分の思い描く理想像とは違うものだったので疲れてしまった。その人は何も悪くないし、自分の心の狭さや過度の期待が問題なのは重々承知だが……

凄い考えがちで、精神を病んでいて、人の目ばかり気にしていて、という所が好きで、自分が理解者やどこか支えになれたらなぁなんて心のどこかで思っていた事に気づいた。しかし、今はそんな感情がどこかへ飛んでいってしまった気がする。「失って気づく」とは、もう少し淡くて甘酸っぱいものであってほしかった。なんとも消化し難いドロドロの固形物が生まれてしまった。

 

恋人と上手くいっていないというツイートが最近多いので、自分はその寂しさを埋める便利な存在として接されていたのだろうか。この前した2人でお酒を呑みに行く約束も、ただの仲のいい後輩だからOKしてくれたのだろうか。嫌だったけど断れなかったのだろうか。だったら優しくしないで欲しい…優しさに慣れていないので………

 

Twitterを教えてくれたのにはどういう意図があったのだろうか。人間性を晒してもいいな、と思えるほど仲良くなれたのか、自分には恋人がいることを示唆させたかったのか、それともTwitterでめちゃめちゃに感情を吐露することも、そのTwitterを人に教えることはその人にとって普通のことなのか。何もわからない。

Twitterの交換を求められた時にこのアカウントを教えるか少し悩んだが、教えなくて正解だった。リア垢ではほとんど何も呟かないので相手と等価交換にはならないが、中々のファインプレーだったと思う。

 

きっとこれからも漫画の貸し借りはするだろうし、今日した深い話の続きもするだろうし、2人で呑みもするのだろう。向こうは今までと何も変わらずに接するのだろうが、自分は人間としてのレベルが低すぎるからそんなこと出来ない。相手の恋人の顔もちらつくし。その人を自分のものにしたいなんてエゴも恋人がいる以上出来ないし、奪い取るなんて勇気も覚悟も自分がそうしたいという確信もない。

今までのように、だらっと仲の良い関係を続けて、いつか疎遠になるのだと思う。

 

2人でご飯に行く時、ちゃんと恋人の話を聞いてみよう。無理をするつもりも必要も無いけど、せっかく仲良くなったし、自分の自己完結だけで勝手に疎遠になって後悔するのも嫌だし。

 

歩いていたらこじんまりとして小洒落た、でも入りやすいバーを見つけたのでそこでお酒をのんだ。少し値は張るけど、バーのお酒は美味しい。格安の居酒屋でしかお酒を飲んだことがなかったからとても新鮮。大人になった気分になる。近くにあったのに全然気づかなかった。

人との出会いやそこで得た経験は、何一つ無駄ではないのかもしれない。お洒落で美味しいバーを見つけられる、など…非日常な刺激は新しい気づきや出会いを生んでくれるのだ。

 

そういうことの繰り返しで、人は成長するんだと信じたい。まだ何も終わったわけではないけど。

良いことあると良いなぁ。明日は何があるだろうか…

 

挫・人間 / 笑いあうために