雲を掴むような

主に本のことや自己満足の日記を書いています

家族3

今日、久々に父から連絡が来た。父からの連絡がいい知らせだった事がないので、父からLINEが来ると毎回胸が締め付けられる。それはまるで梅干しを見るだけで唾液が出るように無意識に起こる現象で、私という生物は「父からの連絡」という刺激に対して「動悸」という反応を生理的に習得しているのだ。そう思うと、家族の再構築は中々に難しい問題だなぁと思う。睡眠薬の影響で最近動悸をしがちだから、そのせいかもしれない。

そんな私の身の上話はどうでも良い、家族の話をしたい。

 

父からの連絡は、「うちの犬が『そろそろ』だから会えるうちに帰ってきなさい」というものだった。「年末まで持ちそう?」と聞くと「俺は医者じゃないから」と父らしい返信が帰ってきて、ますますモヤモヤが大きくなった。

前から喉に腫瘍があったらしい。うちの犬は小型犬で11.2歳だから、そろそろ寿命も考えなきゃなぁと思っていたが、そんな状態なことを全く聞かされていなかった。確かに早くに聞かされたとて大学もアルバイトもあり実家には帰れなかったのだが、それでも少し家族を恨む。犬は家族の1番の支えだったから。

 

うちの犬は元々の飼い主からネグレクトを受けていて、保健所に居た所を引き取った子だった。突然父が引き取ってきた日を今も覚えている。自分が中学2年、家も学校も憎くて死のうとしていた1番苦しい時だった。その空気が家族に蔓延して、私の家族が壊れ始めた、正確には壊れている事が顕になり始めた時期。

今思えば、そういう家族の空気をなんとかしようと思って父は犬を引き取ってきたのかもしれない。いや、ただの気まぐれかも。

うちに来た最初の頃はずっとビクビクして影でコソコソと動いていて、人が近づくと逃げて、遠くから吠え続けていたので、ストレスフルだった私にさらにストレスを与えてくる犬の事が嫌いだった。中学の自分では理解出来ていなかったのだが、今思えばネグレクトを受けていた中で人間不信になってしまっていたのだろうと思う。

そんな状態だったから、家族みんなで犬の受け入れ態勢を作って、可愛がって躾もして、というのに1年くらい掛かった。だからこそ、今思いっきり甘えてくるうちの犬が家族はみんな大好きなのだ。思えば、家族みんなで集まる機会が増えたのは間違いなく犬のおかげだ。

犬は大事なうちの家族なのだ。一家全員、精神的な病を抱えていて可哀想なおうちだなぁ。

 

犬が死ぬことは家族が死ぬことと同義なので、聞くだけで泣きそうな気持ちになる。父もかなりナイーブな様子だし、母もヒステリックになっているらしい。生物はいつか死ぬ、というのは分かりきっていたつもりだったけど、何も分かっていなかった。父が死にかけた時も結局死ななかったので、すっかりその事を忘れていた。今後ずっと今の人達が人生を続けているようで、絶対に誰かは死ぬのだ。親友や好きな人や親もいつかぱっと死んでしまうかもしれないのだと思うと悲しい。そもそも私がぱっと死ぬかもしれない。

もう会えない別れ、というのを具体的に経験したことがないかもしれない。身近な人が死んだのなんて、私が小学生の時ぶりだし、その時に「もう会えない別れ」なんて考えられるわけもなかったし。

考えただけで恐ろしい。世の中には突然事故で家族が亡くなったり、自分が死んだりした人が居る。なんて悲しいのだろうか。池袋の高齢者の車が妻と子供を殺したあの事件の、被害者遺族の男性の言葉と涙を思い出す。私はあの時池袋に居たのだ。もしかしたらあれは私だったかもしれないのだ。全ての生命に生と死は隣り合わせで存在していて、残された側にも言い難い喪失感があるのだと思い知らされた。

 

うちの犬は幸い寿命だ。轢かれた、などならば我が家はもう立ち直れないだろうが、まだそれなりに覚悟ができる。一刻も早くうちの犬に会いたい。大学もバイトもあるし、夜行バスも予約してもらっているから年末までは帰れないのだが…とても気が気でない。もしも間に合わなかったら一生後悔するのだろう。でも、でも、、、、

きっとこんなモヤモヤを、人生で何回も経験して、「残される側」になるのだろう。悲しい。いっその事犬より先に私が死んでやろうか。死ぬ勇気などないが、ちょっとそんなことを思う。死んだら天国に行けるのかな。地獄に落とされるほど悪い事はしていないと思うが。無宗教の癖に死んだ時だけ天国に行こうとしている私は地獄に落とされても文句は言えないな。そもそもそんなもの、人間が死への恐怖を和らげるために作った幻想に過ぎないのかもしれないし。

キリがないし、それは死んだ時に考えよう。それまではうちの犬の分や、私より先に死ぬであろう父の分までしっかり生きよう。

(私が死んだ時、このブログはあるのだろうか。投稿記事は何件になっているのだろうか。もし寿命以外の何かで死んだとき、このブログが高野悦子の二十歳の原点や、南条あやの保健室、二階堂奥歯の八本足の蝶、太宰治の人間失格、そういう何かになればいいな、と思う。

いや、死んでまで生き恥晒したくないな。友達にこのブログのパスワードを教えて、死んだ時は消してもらうようにしよう。)

 

家族がニコニコな姿を、うちの犬に何回見せれてあげただろうか。今も家族はきっと悲しい顔をしているのだろう。

私の家族再構築計画が、うちの犬が元気な間に完成して、そのニコニコなお家で何年も住ませてあげたかった。そう思うと悲しくて涙が出る。まだうちの犬は生きてるし、何も遅くない。今やっと、家族を再構築できる状態になってきたのだ。今しかないのだ。

一刻も早く家族を再構築させて、うちの犬を幸せな家族の一員として見送ってあげねば。そう決意した。