雲を掴むような

主に本のことや自己満足の日記を書いています

12/11

睡眠サイクルを治そうと徹夜をして、朝早くに大学に行って図書館でレポートを書いた。最近書いているレポートは認知心理系のものが多くて楽しい。今日は記憶についてのレポートを作った。

人間の記憶とは、純粋にその場で物質的にあったことを覚えているのではなく、人間の偏見(選択的認知)が入った記憶でしかないのだ、という内容のレポートを作った。作りながら、記憶が本当ではない可能性がある事に恐怖を覚えた。

私は過去の全てを思い出しては恥ずかしく思ったり、後悔したりすることが多い。なんであの時ああいう風に思ってあんな事をしたのだろうとくよくよ悩む。忘れられないくらい悔しかった思い出や苦しかった思い出は沢山あって、それが夢によく出てくるのだ。

でも、それは今自分で思い返した時に出てくる映像でしかなく、本当にその時に今見ている映像と全く同じことが行われていたとは言いきれないらしいのだ。自分が父を憎んだというバイアスや、自分は悲劇のヒロインになりたいというバイアスが自分の記憶を無意識にねじ曲げている可能性があるという。

 

自分の原動力はルサンチマンなんだと自分に言い続けてきた。「あの時苦しい思いをした分得られたものがあって、それを昇華したい」という気持ち。

未来に進もうとしても自分は過去に縛られ続けているのだ。それは良くないことだと思った。過去が本物ではない可能性があるのなら尚更だ。過去の悔しい、辛い、嫌だ、幸せになりたい、という気持ちだけで生きていたら、それは報われるまでは(きっと報われてからも)悲しいことだし、もしその過去の気持ちが嘘かもしれない、となってしまったら自分は空っぽになってしまう。

今、生きてることが偉くて、今の幸せを見つけられてそれを噛み締められて、今やりたいことをやっていく、という無条件の肯定とエネルギーが私にはもっともっと必要だ、そうじゃなきゃダメだと思った。

無条件の肯定かぁ。他者に対して生きてるだけで凄いのにな、と思うことはあるけど自分に対して思った事は無いかもしれないな。

自分はえらい、と思うようにした。毎日、今日も偉かった、と言ってから寝るようにしよう。

 

今日も偉かったね。

 

倉橋ヨエコ / 夜な夜な夜な