雲を掴むような

ハタチ。 弱い。人生をブログにしています。

品川suicide

 死ぬ前に海が見たいと思った。正確には海で死のうと思った。死のうとしているのに情けないもので、動脈を切るのは痛そうだし、首を吊るのは苦しそうだし、ビルから飛び降りたり電車に飛び込んだりするのは大勢の人に迷惑がかかると思った。練炭自殺や感電自殺も検討したが、準備が面倒だし家で孤独に死ぬのはなんとなく嫌だった。今思えば、大して私は死にたくなかったのかもしれない。12月の寒空の海に高架橋から飛び込めば、心臓ショックなど痛くなく死ねて、血肉や思想を魚やプランクトンが分解して、私の存在を地球に溶かしてくれるのではないかと思ったのだ。

 10代の頃から「大人になればいずれ分かるよ」なんて言われ続けて、その言葉に縋り続けて、気付いたら20代の後半になっていた。結局、何も分からなかった。人の気持ちも、自分が何をしたいのかも、生きがいも、人に与えた優しさはいつか自分に返ってくるということも、生きているだけで幸せだということも、人を愛するということも。やりたいはずだった仕事は今となってはただ面倒で、そこから得られた賃金で特にしたい事もなく、人のためを思って自己犠牲を繰り返しても、努力をしても、大して報われる事はなく。いつの間にか人間関係も「年収・仕事・家柄」など、その人の思想ではなくその人が所持している資産で評価するようになっており、周りの人間のする話は収入、出世、結婚、家庭、将来、老後、など聞きたくないものばかりになっていた。気が付いた時には何かをする気力もなく、何をしても悲しく、身体を休めようと思っても眠ることすらできない身体になっていた。明日も仕事だ、と思った時、ふと、もうダメだと思ったのだ。この世の中に生きる人間が憎くて、そんな自分が憎くて、何故こんなに悩んで苦しんでまで生きなければならないのかと思ったのだ。

 「東京 海 行き方」と調べたら、品川シーサイド駅という駅までの行き方が出てきた。あと1時間ほどで始発がでるようだったので、始発でそこへ行って、死ぬことにした。

 朝の電車はガラガラで、いつもの満員電車、いつもの日常が嘘のようだった。こんな早い電車に乗ったのは初めてだった。乗員みんな眠そうではあるが誰もせかせかとしていなくて、彼らにはどんな人生があってどんな思想をもって、どんな事情でこんな朝早くの電車に乗っているのか気になった。自分とは違う世界で生きている人達という感じがした。この人達は、幸せが何か知っているのだろうか、夢や目標があるのだろうか、愛する家族がいるのだろうか、もしかしたら私と同じで、今から死ぬために海へ向かっているのだろうか、そんなことを思った。

 電車から降りると、駅の中なのに磯の香りとドブの臭いの混じった何とも言えない東京の海の匂いがして、本当に東京にも海があるのだと感じた。東京に来てもうすぐ10年になるが、私は東京を何も知らないのだと思った。外はまだ薄暗くて、何より凍えるほど寒かった。これから死ぬつもりのはずなのに、上着をもっと着てくればよかったと思った。初めてまじまじと見る東京の海は、濁った濃い緑色で、ゴミや油が浮いていて、私の「海」という概念とはかけ離れたものだった。川の岸と岸を繋ぐ道路橋の下には、ボロボロの自転車とダンボールと毛布を組み合わせた誰かの家らしきものがあり、そのさらに50メートル先では高校生くらいの子がトランペットを吹いていた。

 高架橋を探して海の周り歩きながら、スマホの画像フォルダを見て、ここ20年間の思い出を反芻した。あんな事をしたなぁ、あれは楽しかったなぁ、あの時期は本当に苦しかったなぁ、あの時ちゃんと想いを伝えておけばよかったなぁ、なんて思い返していたら、私の今までの人生は意外と色んなことがあったことに気づいた。そして、もう一度あの人に会いたいと思ったりした。どうせ死ぬから、と思ってインスタのDMであの人に連絡を送ろうとしたが、フォロワー欄を漁っているうちに寒さで充電が無くなってしまった。神様がチャンスを与えてくれなかったのだと思った。

 数十分歩いたが丁度よく飛び込める場所が1つも見つからず、最初に海についた場所に戻ってきてしまっていた。高校生の子は、まだトランペットの基礎音階練習をしていた。高い音が中々出なそうだったが、こんな寒空の朝早くから練習しているその子はきっと上手くなるだろうと思った。私が何かの基礎練習を最後にしたのはいつ頃だっただろうか。上京したての頃初めてギターを買ったから、その時だろうか。今はもうきっとFコードすら握れないだろう…もっとギター上手くなりたかったなぁ。バンドとかもやってみたかった。実はピアノも弾けるようになりたかった。何なら小説を書いてみたかったし、漫画も描いてみたかった。そういえば今日はヤングジャンプの発売日だ。キングダムの続きどうなるんだろう。高校生くらいの子の吹くドレミファソラシドの音階のループを聴き続けているうちに、そんな事を考えはじめた。

 気付いた時には、汚い水の溜まり場に飛び込んで死ぬ覚悟は無くなっていた。トランペットの子にトラウマな光景を見せたくないとか、こんな汚い海では死にたくないとか、この高さから飛び込んでもどうせ死ねないとか、色々な言い訳を誰でもない誰かにしていて、どうしようもなく意思の弱い人間だと思った。トランペットの子に心の中でさよならをして、電車で家に帰った。

 家に帰って携帯の充電をすると、見たことのない量の通知が来ていた。スマホのスクリーンには9時24分と表示されていて、その時私が会社を無断欠勤していたことにやっと気付いた。普段ほとんど動かない私のLINEに、先輩、同僚、後輩から「大丈夫?何かあった?」という旨の連絡が沢山来ていた。私は有給を使った事も無かったし、無断欠勤や大遅刻などした事も無かったから、会社ではちょっとした騒ぎになっていたようだった。会社に電話して丁重に謝った後、体調が優れないことにして初めて有給を使った。上司も意外と優しい言葉を掛けてくれたし、同期や後輩がそれぞれ連絡をくれた事が嬉しかったので、少し元気が出た。ふと、ギターを買いに都心の街へ出かけようと思った。私に生きている意味などあるのかと数時間前まで悩んでいたのに、ちょっと他人に心配されただけで今はどんなギターを買おうか悩んでいて、「自分は悩みの多い人間だ」と何処か他人にマウントを取っていた自分が馬鹿馬鹿しくなった。

 試し弾きをしたら、意外とFコードは弾けた。アンプから出るギターの音を聴いて、東京に来たばかりの日を思い出した。あの時描いていたワクワクの未来は、まだ私の未来でもある。行きたいライブが沢山あるな、ダメ元であの人を誘ってみようかな、なんて思った。