雲を掴むような

二十歳の原点、卒業式まで死にません、八本脚の蝶

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後輩から「大学に受かって東京に行くので今度ご飯行きましょう」という連絡が来て嬉しい。それ以上にもう大学受験から2年経ったことを実感した。2年!早い。自分が高3の時の高1がもう大学生なんて考えられない…大学生活もあと半分。大学院の受験まであと1年半しかない。この2年間で私は何か変わったのだろうか?あと2年、何か変われるのだろうか……

 

受験の時期はやはり誰がどこに行った、という話になる。別に私は学歴厨ではないし誇れる学歴でもなく、受験の話を聞くとトラウマ的なものが甦ったり過度の感情移入をしてしまうのであまり自分からは積極的にそういう話はしないのだが、私の周りの人はそういうのが大好物の人ばかりなので否が応でも色んな情報が入ってくる。受験は10代が最も心を病むイベントだと思う。進学校毒親に特有の「学歴は人間のランク」思想を長年掛けて植え付けられた人間は、その時の結果に固執してしまうので…そして失敗した人はコンプレックスを抱えて意味の無い仮面浪人をしたり自分を僻んだりするし、成功した人はearthの社長みたいに死ぬほどキモいメールを歳下の社員に送り付けることに疑いを持たない怪物になるのだ…地獄ですね

2浪した友達のインスタアカウントが消えていて、きっとそういう事なのだと思った。3回も受験と闘ってきた事が本当に凄い事だし人間としてしっかりしている人なので、私からしたら普通にどこかの大学で頑張ればいいのに、と思うのだが…もう2年の浪人で私大の学費は超えているし、来年からはセンター試験が変わるし、思う所は多々あるのだろう…思い詰めないで欲しい…

最近、高校の頃が懐かしくなる。私はなんだかんだ言いつつ、不登校もしつつではあるが、学校が好きだった。ノスタルジーかもしれないけど、あの頃にやっていたことや出来た友達と話した事が今の自分の全てである気さえする。私があの学校にいて学歴などの目の前の成功失敗に執拗なまでに固執せず、自分の人生について考えたのは友達と「生きるとは…幸せとは…」みたいな陰鬱な話をし続けていたお陰なのだ。もちろん家庭事情があって浪人出来なかったとか特待じゃなきゃ借金が大きくなるとか、そういう妥協はあったにしろ、今割と楽しく大学生活出来てるし、大学でこそ自分の出来ることを頑張ろうと思えている。友達と会えていなかったら学校の流れで、絶対国立旧帝大以上、とりあえず経済学部、みたいな闘いをモチベーションもなくやらされ、受験に落ちて自殺していた気がする…自分で考えて生きれる世界線に立ったのだから喝を入れ直して頑張らなきゃなぁ…

最近勉強もあんまり出来てないし、プログラミングも独学に限界を感じつつあって進んでいない。ダラダラしている。午前中バイトに出て、夜バイトが終わってから安いカフェやミスドに行って、勉強したふりをして、銭湯に寄って寝る、という生活を繰り返している。銭湯に行っているのは、家の給湯システムが壊れて、修理中は不動産の方から銭湯のお金を出してもらえるようになったから。温泉とか元々大好きなのでとても嬉しい。毎回コーヒー牛乳を飲んでしまうので結局出費にはなるのですが……

コーヒー牛乳やらドーナツやらを定期的に摂取しているので少し太った。こういう所から自分の弱い所を叩き潰していこう…

 

 

挫・人間 / 一生のお願い